短尺大型車と中型車 

旧・MonoPage(掲示板)の過去ログから。
なお,投稿者の敬称は省略。

ハンペン中型? 投稿者:  投稿日:99年10月2日<土>
ときむかし,赤間営業所〜赤間駅南口線でハンペンの中型?に出くわしてとても感動したのを覚えてます。
たしか,大川の西鉄柳川〜大野島線あたりにもいたような・・・

詳細をご存じの方,是非,教えて下さい。

Re:ハンペン中型 投稿者:かもお  投稿日:99年10月3日<日>
中型車といえば,日の里団地などにCCMが走っていたのですが・・。

CCMといえば,西工製もいすゞ純正(川重)もよく似たデザインしたね。西鉄のCCMはもう残っていないのでしょうか?

補足 投稿者:  投稿日:99年10月3日<日>
赤間営業所〜赤間駅南口のハンペン中型?=ECM430?

どなたか>六弦さん,突っ込んで下さい。

ゲッ,御指名だぁーっ 投稿者:六弦空間バス応援団  投稿日:投稿日:99年10月3日<日>
>赤間営業所〜赤間駅南口のハンペンの中型?=ECM430?
>どなたか(六弦さん),突っ込んで下さい。

御指名頂き有り難うございます。(冷汗)

実はあたしゃ型式は全く強くございません。(自慢)
それで慌てて資料を引っ張り出して来まして「お勉強」(爆)

ただ,者さんの最初の発言
>赤間営業所〜赤間駅南口系統で,ハンペンの中型?
>に出くわしてとても感動したのを覚えてます。

を読んだ時にハンペンの中型?????

ハンペンには中型は居なかったぞ。きっと短尺と勘違いしてるんだよな,と思っていました。
でもって,某全国チェーンのバスの会の「日本路線バス総合カタログ」で確認してみました。

で,結果はと言いますと,やはりECM430です。

ざっとしか読んでいませんが,この型式は中型CCMのエンジンを積んで,大型のボデーを乗せた車のようです。
なので,車内のエンジン音から判断すれば中型に聞こえてしまいます。それと,確かにこの車は中扉1枚物でしたので,見かけの印象も相当に小さく見えます。
個人的には中型の範疇としても差し支えないと思うのですが,マニア君の中にはホイルナットの穴が8穴なので「断固大型」と主張する方もおられます(ちなみに中型のは6穴だそうです)。

>西工のCCM

これも上記の本の受け売りなのですが,西工のCCMは川崎重工と設計図は共通で作られたそうです(ライセンス生産?)。
ただ,側面第3柱(中扉の前)が太くなっていないのが特徴であと色々と細かい所が違っているそうですが・・・。

Re.8835 投稿者:真希ちゃん  投稿日:99年10月1日<金>
>8835は片江に配属され,片江(54)系統にも姿を見せていました。
>8831〜35はナンバーが他車と異なり,バンパーに取り付けられていました。
>(ふつうのカマボコ型はバンパーより上にナンバーが付いています)
>あいにく私はそのときまだ小学生で,バスにも詳しくなかったのですが,
>粗末な(失礼!)車両ばかり来る中で,これにあたると大喜びしていました。

懐かしい話題ありがとうございます。私も小学生でした。
私も友達と七隈のスケート場に行くとき95番に運用されていた87**・88**によく乗っていました。
内装がとても豪華だった記憶があります。90年頃まで走っていました。

ありがとうございます 投稿者:  投稿日:99年10月6日<水>
やはり,ECMでしたか。あまりにもちっこく見えたもので・・・
大型と中型の区分ですが,日野HPの一節に

> Q バスの大中小型の違いの定義は?

> A 旅客運賃規定で以下のように規定されています。
>   全長×全幅×全高

> 大型バス 全長9m以上または定員50人以上
> 中型バス 大型・小型にあてはまらぬもの
> 小型バス 全長7m以下でかつ定員29人以下

> したがって,小型バスのシャシでも路線バス等で立席を設けて定員を多くしたものは
> 中型バスとなり,同様に中型バスのシャシでも定員を多くしたものは大型バスになります。

とあります。

なので,当該車はれっきとした大型車です。
また,カテゴリーがあやふやな日産ディJPも同じく大型車ということになります。

ところで,現在中型バスの姿はあちらこちらで見ることができますが,昔は9m大型ばっかりで中型は珍しかったような気がしますけど・・・どうですか?
CCM・CDMも方向幕位置が強引だったので,当時あれは路線用のバスとして開発されたものではなかったのではないと・・・

最後に,この話に関連して,質問を二つばかり・・・

(1) 昔の星の原線は三菱っぽい天井に数個の円形の装置を載せたバスだったと記憶してますが,あのバスの形式は何ですか?

(2) JR九州に日野(日野),三菱(新呉羽),日産ディ(富士重)のショートボディーのバスがいますが,日野は車体の格好から 9m大型だと思うのですが,一体,これらのバスの形式は何ですか?

型式について 投稿者:FUSOきゃろる  投稿日:99年10月7日<木>
西鉄にいた三菱の中型は,K-MK116H(呉羽)で,星の原線引退後は,和白,赤間,雑餉隈等に転属していきました。
他の非西工としては,55で使われていたRL321があります。

次に,JR九州の9m車ですが,三菱がU-MM517J,日野がU-RU3HJAA,日産DがU-RP210JANです。
プレートでいうと,三菱が福岡22か46-45,日野が福岡22か48-01,日産Dが筑豊22か・495などがこれにあたります。

JRの型式手直し 投稿者:快速みいけ  投稿日:99年10月8日<金>
>次に,JR九州の9m車ですが,三菱がU-MM517J,
>日野がU-RU3HJAA,日産DがU-RP210JAN

BlueRibon・AERO MIDI MMの型式はその通りですが,問題はRP。

KC-RP250GANがホントです。

何故に中型が増えたのか 投稿者:六弦空間バス応援団  投稿日:99年10月13日<水>
>ところで,今日中型バスの姿はあちらこちらで見ることができますが,
>昔は9m大型ばっかりで中型は珍しかったような気がしますけど・・・どうですか?

バスの発展がボンネットバスからセンターアンダーフロアー,リアエンジンと来ましたから,基本的には大型化・床面積の増加と言う流れでした。
なので,むかしの峡隘路へ乗り入れの対応と言えば,大型化した車体をただ小さくすること済ませました。
要するに,昔は「中型」なるカテゴリーが存在して無くて,大型バスの小さいので対応してた訳です。
さらに,一般的にバス会社と言う所は「保守的」なトコですし,使い慣れた昔からの9mサイズのバスを選択する傾向に有った様です。

そのうち,中型バスの信頼性が増加した事,道路環境のさらなる悪化で車幅の狭いのを選択する様になった事,ランニングコストが9mよりも安い事などの理由と,メーカー側もコストとの兼ね合いやなんかでモデルの統合をすすめた結果,今のように中型にシフトして行った物です。

西鉄が中型を入れた理由 投稿者:快速みいけ  投稿日:99年10月13日<水>
あくまで憶測ですが・・・・・

昔は道の狭い路線でも10m程度の大型は走ってました。
大牟田なんかその典型で,大牟田に入る新車はショートばっかり!RE101やCJM470なんかがそうです。
それでも幅は2.5m,要所要所に整理員がいたものです。(ex:八幡東区大場谷小学校のカーブや大牟田市神田の三井線ガードなど)

これだと,人件費がかかりますので,これをなくす目的もあったんでしょうね。exで該当する北九州の42番や,大牟田の16.19(当時)は典型です。

快速みいけさん 投稿者:六弦空間バス応援団  投稿日:99年10月13日<水>
更に大昔は,昭和バスの確か宮浦〜西の浦の間だけ,整理員のおじさんが乗って来て誘導していました。
今は道も良くなって全然ですが・・・昔はあまり西の方に行った事が無くて始めて行った時にビックリした記憶が有ります。

>それでも幅は2.5m,要所要所に整理員がいたものです。
>(ex:八幡東区大場谷小学校のカーブや大牟田市神田の三井線ガードなど)

>これだと,人件費がかかりますので,これをなくす目的もあったんでしょうね。
>exで該当する北九州の42番や,大牟田の16.19(当時)は典型です。

その当時は,確かに人件費も安かったし,ワンマン化による合理化で有る程度そう言った整理員などの要員も確保出来たのでしょうね。
後,そのような場所が極めて限られていたために当該の営業所に必要な数だけを導入すれば良かったでしょう(雑餉隈の標準床みたいに)。

現在の福岡市内では普通の路線環境でも中型車でキャパを賄うくらいのお客さんしか居ない事もあって,どんどん中型の導入が進んでいます。(個人的には残念な事です)
昭和バスなんかは,その方向がもっと顕著で可哀想な位です。

六弦さん 投稿者:快速みいけ  投稿日:99年10月14日<木>
キャパ的には中型で丁度良いところばっかしですが,(特に大牟田!)戸畑の42なんかは中型ではちょっときつい様な気が。。。

まあ,U20Hで走っていたことを考えると。。。結構乗ってるんです。ここの路線。。

交通整理 投稿者:のんの  投稿日:99年10月14日<木>
車掌と言う名目だったか,整理員という名目だったかは分かりませんが,(3)脇山線でも早良妙見口や重留折り返しの場合を除いて乗務していたようです。

(内野方面はちょっと自信ないですけど,少なくとも脇山方面は)一ツ家〜仙道〜谷や谷口〜一ツ田〜湯の野〜椎原や願正寺〜野田など道路の幅の割には大型車を投入していたので乗務していたそうです。

のんのさん 投稿者:六弦空間バス応援団  投稿日:99年10月15日<金>
> 車掌と言う名目だったか,整理員という名目だったかは分かりませんが,
> (3)脇山線でも早良妙見口や重留折り返しの場合を除いて乗務していたようです。
> (内野方面はちょっと自信ないですけど,少なくとも脇山方面は)
> 一ツ家〜仙道〜谷や谷口〜一ツ田〜湯の野〜椎原や願正寺〜野田など
> 道路の幅の割には大型車を投入していたので乗務していたそうです。

そういや,ワンマン化の初期の頃は,たしか(2)だと西山・南金武・羽根戸・免(なんてのが田隈辺りにあった)(3)だと妙見口から先の方はワンマンにはならないで,車掌さんが乗っていました。

一時はワンマンとツーマンが同居して走っていた物です。車掌台のトコだったように記憶してますが,ワンマン・ツーマンの切り替えスイッチ見たいなのが有りました。

その後,整理員スタイルになったのじゃ無いでしょうか。
その方が該当区間だけをピストンで乗務出来るので人件費が浮きますし,ワン・ツーが混在していると中扉だけの乗降になってしまうので,大変だったし・・・。

以上
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